【お題:月面・雲・十字架】
雲を裂いて月面に至るまでに多くの犠牲が払われたけれど、判ったのは足裏の地面が総括的に青くなること、空の先に白髭の老爺はいないこと、の2つだろうか。
ーーー墓標を何処に立てれば良い、と誰かが悲しげに口の端を歪めて言った。
空が天国に近いというのなら、『彼女』の魂は既に神の御元。『彼女』の命が失われたのは、天国に近い場所。わざわざ人の足下に押し込める必要はないだろう。『彼女』の躯にみっともなく郷愁を覚え、涙を堪えて縋りつくのは、残された人間だけだ。
凡愚なのだ、我々は。
四つ足の『彼女』。
従順で、狭いところでは大人しく身を丸め、尻尾をふるりと震わせる。円らな黒い目は純粋で、二心ない無垢さは赤子にも通じるところがあった。
差し出した手に頬を擦り寄せる可愛い仕草。
『彼女』を嫌いだと口にする者はいなかった。
『彼女』が逝ったことを喜ぶ者はいなかった。
雲を割いて、月面に降り立ち、墓標の在処が広がった。
風のない暗闇と、目を潰し骨を溶かす極光に、幾つの十字架が呑まれただろう。
いつか空が狭まった先、膨張し続ける空の中で、みっしりと詰まり軋んだ音を立てる墓標の群が、地上に降る。ーーー雨のように、還ってくる。
大好きだったよ、ライカ、クドリャフカ。